2025.12.23 | u-map

「付き合う介護」が30年続く、自分らしく生きる居場所。

 

玄関を入った瞬間、ここが一般的な介護施設とは違う場所だと感じました。

木の匂い、台所から聞こえる生活音、入居者とスタッフが自然に交わす挨拶。誰かの暮らしの途中に、そっとお邪魔しているような空気があります。

福岡市にある宅老所「よりあい」は、92歳の女性の「施設には入らない。ここで生きる」という一言から始まりました。鍵をかけず、帰りたい気持ちを止めず、説得もしない。ただ「一緒に付き合う」。その姿勢を30年以上、変えずに続けてきた場所です。

決められたスケジュールはなく、職員一人ひとりに裁量があります。その日の、その人の「今」に合わせて関わり方を選ぶ。経営は決して楽ではありません。それでも、支える側と支えられる側を分けない関係性が、この場所を支えてきました。

本記事では、宅老所よりあいが歩んできた背景と、現場に根づく「付き合う介護」の実像を、見学の記録を通してお伝えします。

 

 

「よりあい」の始まりは、戦略や事業計画ではありませんでした。

1991年。きっかけは、当時92歳で一人暮らしをしていた女性でした。

足の手術をきっかけに、周囲は「もう一人暮らしは危ない」と感じたことでした。

今の私たちが聞いても“よくある話”だからこそ、相談を受けた側も「施設に入れば安心ですよ」と説得する役割を期待されましたが、その女性は、真正面から跳ね返しました。

「野垂れ死にする覚悟でここで生きとる。だからもう行かん。」

この言葉は強がりでも、反抗でもなく、その人が自分の人生の終わり方を自分で決める、という宣言に聞こえました。

けれど現実には生活上の困りごとは残ります。

そこで創業者の下村さんと女性2〜3人が、家を訪ねて手伝うようになりましたが、在宅での1対1の関係は濃くなりすぎる。距離が近づくほど、疑いも生まれる。「物を盗った」などのトラブルが起きる。ここが重要でした。支援の継続に必要なのは、善意や関係性の強化だけではなく、むしろ“関係だけで支える危うさ”を、彼女たちは現場で痛感したのです。

そこで発想が反転します。必要なのは「家で支えること」だけではなく、その人が外に出られる“居場所”なのではないかということです。

社会の中で、複数の人とつながりながら居られる場所。隣のお寺(伝照寺)のお茶室を借り、週1回から始まった小さな集まり。それが「よりあい」の原点でした。

 

 

口コミで相談が増え、やがて本堂に人が上がり、住職から「法事ができない」と言われるほどになる。笑い話のようでいて、地域に必要とされる居場所が膨らんでいく瞬間でもあります。そして現在の建物は、お寺が持っていた借家を借りて始まった。つまり「よりあい」は、制度より先に、地域と暮らしの必要から生まれた場でした。

名称の由来も象徴的です。お寺での集まりの頃、お年寄りを迎えに行き「今日はよりあいがありますよ」と誘うと、「行かないかん!」と来てくれていた。その“寄り合い”が、そのまま名前になりました。

最初は「託老所」と名付けたものの、「老人を託すとは何事だ」と怒られ、「宅(住宅の宅)」老所へ。

言葉ひとつに反応する当事者の感覚を、場の名前にきちんと反映させてきた歴史が、ここにはあります。

見学中、印象的なやり取りがいくつもありました。

台所から料理の香りがして、入居者がスタッフに「いただきました?」と声をかける。目の前で料理が作られ、会話が生まれます。ここでは“食事提供”が業務として完結せず、生活の共同作業として流れていました。

さらに驚いたのは、食事を作るのが職員だけではないことです。週2日ほどはボランティアが来て、材料も買ってきて、何を作るかもすべてお任せしてあります。

「何が出てくるかも楽しみなんです」。

 

 

施設運営として見れば、リスクもあるかもしれません。けれど、ここでは“任せる”ことそのものが、地域との信頼関係の証になっています。実際、台所で「今日は失敗作です。コロッケにしようと思ったら失敗しちゃった」と笑うやり取りがありました。失敗が隠されない。むしろ場の会話の一部になり、誰かがそれを受け止める。生活の中で、失敗すら共有される雰囲気が、空間に溶けています。

一日のスケジュールを尋ねると、返ってきた答えは明快でした。

「なんにも決まってないです」。決まっているのは、ご飯とおやつ、そして「今日お風呂入りたい」という本人の希望を見ながら誘うことくらい。昼寝はしない、とさらっと返答がありました。

時間割がない代わりに、職員はずっと誰かの横にいる。散歩に行きたい人がいれば散歩する。帰りたいと言う人がいれば、その気持ちに付き合う。つまりここは、「プログラムで回す場所」ではなく、「今この人がどう在るか」を起点に一日が組み立てられる場所です。

この“今”の積み重ねが、居場所を居場所たらしめています。認知症ケアの現場では、行為の是非だけで判断すると関係が壊れやすいこともあります。ここでは、行為の背景を読むことが文化になっていました。

象徴的だったのが、過去に焼きそばを投げたおばあちゃんがいたそうです。場の空気が一瞬険しくなるいましたが職員は怒鳴るでも止めるでもなく、「綺麗ですね。この垂れ具合がなんとも言えない」と、花瓶に付いた焼きそばさえ“見立て”に変えていく。周囲のお年寄りまで「こっちから見てもいい」と乗ってくる。投げた行為そのものではなく、なぜ投げたのかを皆で考えると、「私だけ仲間外れにされたと思った」からだった。だから次は輪の中で一緒に食べよう、に変わっていく。

ここで起きているのは、介護技術の巧さというより、関係の作り直しです。

「ダメ」「危ない」を先に置かず、「寂しかったのかもしれない」という仮説を共有して、場の形を変える。これが“自分らしくいられる居場所”の正体だと感じました。本人の感情が、誰かに読み取られ、否定されずに場のデザインへ反映される。だから、ここにいる人たちは、たとえ混乱しても、怒っても、居続けることができるのです。

よりあいを支えているのは、職員の人数そのものというより、「時間の使い方」に対する考え方です。ここでは日中、鍵をかけません。だからお年寄りが外へ出ていくこともあります。そのとき職員は、追いかけて止めるのではなく「一緒に歩く」を選びます。時には車に乗って家まで行き、鍵を開けて中に入ることもある。けれど家の中には誰もいない。二人で座って少し待ってみる。「ちょっと戻ってお茶飲みましょうか」と声をかける。忘れてしまえば、また同じことを繰り返す。その話を聞いたとき、私は正直驚きました。帰宅願望への対応を“説得”や“対立回避”で終わらせず、本人の現実感に付き合うという選択が、ここでは日常として根づいているからです。

ただ、この対応は気合いでは続きません。職員の心の余白が必要だからです。そして余白は、精神論ではなく「配置」でつくられます。職員が少ない現場では、付き合う時間が確保できず、鍵を閉めざるを得なくなり、対立が生まれやすい。すると関係を修復するために、かえって大きな労力が必要になります。

 

 

よりあいはその逆を取っています。「付き合う」ために人を置く。だからこそ職員同士の会話も、「結構かかったね」と笑い合える空気になる。遅れて帰ってきた人が責められるのではなく、ねぎらいに近い笑いで迎えられる。ここにチームとしての価値観が表れていました。

役割分担の考え方も特徴的です。

スタッフの話では「職員の役割もない」。一人ひとりが、本人と一緒に「今日どう過ごすか」を決めていきます。ベテランでも新人でも、現場での裁量は等しくある。新人は「見て学べ」の立場ではなく、最初から判断者として扱われます。もちろん、その分しんどい事もあり、スタッフ自身も「その時は、もう次こんな人嫌だと思うこともある」と本音をこぼしていました。それでも「困っている家族が相談に来たら、覚悟を決めて受ける」と続けます。

この覚悟は根性論ではありません。断れば、この人の居場所がなくなるからです。その前提をチーム全体が共有しているからこそ、個人の気分で判断が揺れにくいのだと感じました。

そして、よりあいのコミュニケーションが巧いのは、話術よりも“捉え直し”の力でした。

焼きそばを投げた出来事を「芸術」に変換したエピソードが象徴的です。行為だけを問題にせず、背景にある気持ちを探り、怒りを“寂しさ”として読み替えることや帰宅願望を“対立”ではなく“同行”として扱ったことです。

こうした捉え直しが、個人の技ではなく、組織の文化として共有されているように見えました。

見学中にも「経験則の共有」という言葉が何度も出てきます。些細なことでも伝える。体感したことを次の対応へつなげる。ここは日々の小さな出来事が知恵として蓄積され、共有され続ける場所なのだと思います。

 

よりあいの魅力は、そのまま課題にもつながっています。

最大の課題は、やはり運営についてです。職員配置を厚くし、時間をかけ、制度外の「泊まり」も抱え、地域との関係も維持しています。一般的な経営の物差しで測れば、どうしても効率は良くありません。実際に現場からも「事業として考えると難しい」という言葉が出ていました。泊まりは夕食・朝食込みで5000円。それでも「人件費を考えると足りない」。かつて「犬を預けるのが8000円で、おばあちゃんは5000円。犬の方が高い」と言われた話には笑いが起きますが、その笑いの奥には、ケア労働の価値が正当に評価されにくい現実が透けて見えます。

制度との距離感も難しさの一つです。お泊まりデイは一時期広がったものの、「質が悪い」と叩かれた歴史があり、今は表立って増えていません。

よりあいは「こそっと小さくやる」類いではなく、30年以上続く実践として存在しています。

ただ、制度が想定する標準化や計画性とは相性が良くない部分もあります。必要が先にあり、機能が後からついてくる。だから強い一方で、“制度に守られにくい”側面も抱えています。

さらに在宅支援と「暮らす人」の増加には、避けがたいジレンマがあります。

本来、宅老所は通いと泊まりで在宅生活を支える場所です。

ところが泊まりが増え、暮らす人が増えるほど、在宅で受け入れられる人数は減っていきます。支えれば支えるほど、その場所が生活の拠点になる人が増え、新しい相談に応える余力が削られていく。この積み重ねが、2015年に地域密着型特養「よりあいの森」へつながったのだと理解できました。

宅老所だけでは抱えきれない現実を、制度内の器で受け止め直す。そのためにワークショップを重ねた数年があったという話からは、理想を守るために制度と折り合いをつけてきた長い格闘が伝わってきます。

よりあいを語るうえで欠かせないのは、支援者が“外側の人”ではないことです。ボランティアが料理を作るだけではなく、かつてここで家族を看取った人が、今もボランティアとして関わり続けています。家族会も、現役の家族だけではなく、介護を終えたOBが参加します。

「よりあいが潰れてもらっちゃ困る。自分たちの老後を考えても。質が落ちても困る」という言葉は、利用者の声というより、共同体の当事者の声でした。

30年続くと世代が巡ります。かつて親を支えた人が80歳になり、今度は特養に入居している。親を見ていた娘さんが、今は利用者になっている。支えられていた人が支える側に回る。こうした循環が起きているからこそ、「よりあいでいい」ではなく「よりあいがいい」と言われるのだと思います。

ここにあるのは、ブランドではなく、関係性の履歴が生んだ信頼です。

地域との接点づくりも、あくまで自然です。

 

 

入口に置かれたレモンは、お寺に通う方の庭から分けてもらったものだと言います。24時間無人販売の「のみの市」は、覗いた人に「ここ何ですか?公民館?」と聞かれることもあるそうです。

品物に誘われて入ったら、おばあちゃんたちが座っていて驚き、そうやって“知らない人が入ってくる余白”が、地域に向けて開かれています。

近所の保育園児がハロウィンに仮装して歌い、お年寄りがお菓子を渡す出来事も、「意図的ではない」と言いながら自然に起きている。居場所が本物だと、交流は“企画”より先に“訪問”として起こる。そのことを、よりあいは静かに証明しているように見えました。

 

見学の終盤、私は少し不躾だと思いながらも「5年10年先の野心やビジョンは?」と尋ねました。

返ってきたのは、「日々の日々、日々に」「今、今、今の連続」という言葉でした。この答えに拍子抜けする人もいるかもしれません。でも私は、ここによりあいの哲学が凝縮されていると感じました。

国はスケールメリットを求め、連携推進法人など“大きくまとまる”方向へ進んでいます。ICTやセンサーの導入も推奨される中、よりあいはそれを否定はしません。ただ「よりあいに必要か」を問い続けています。職員が物音や匂いで「気になる」と感じて見に行く。その感覚が生かされている状態と、機械に指示されて動く状態は違う。小規模だからこそ、人の感覚が研ぎ澄まされる。ここはテクノロジーで代替するのではなく、人の感覚を育てる方向へ舵を切っているように見えました。

そして、その前提が「規模を大きくしない」ことにあります。

「人でできる範囲でやること」。

拡大によって理念が薄まるくらいなら、閉じてもいいという覚悟が滲みます。

実際「社会から必要とされなくなったなら閉じればいい」という言葉もありました。

継続を目的にせず、“必要に応えること”を目的にする。だから支えてくれる人がいれば仲間を作り続けるし、必要がなくなれば終える。その潔さは、理念の強さでもあります。

ただし現実には、居場所の必要は簡単には消えません。

孤立や老老介護、若年性認知症など、形を変えた「居場所の不足」は増えています。だから、よりあいの今後の展開は、拠点を増やすことではなく、仲間を増やすことなのだと思います。実践をコピーするのではなく、思想を共有する。支え合う人を増やし、地域の中に“寄り合える場所”を残していく。看取りが終わっても関係が終わらない文化を育て続ける。それが、よりあいの未来の形ではないでしょうか。

帰り道、私は梁や天窓の美しさよりも、職員が当たり前のように口にした「付き合う」という言葉が頭から離れませんでした。

帰りたい人に付き合う。時間がかかる人に付き合う。投げた人の感情に付き合う。地域の力にも付き合う。そして、その“付き合い”を成立させるために、人を配置し、資金を作り、制度の外と内を行き来してきた。

よりあいは派手な成功事例ではありません。

むしろ「経営だけ見れば目も当てられない」と言いながら、日々運営を続けています。それでもここが続いてきたのは、「自分らしくいられる居場所」を言葉ではなく日常で作ってきたからです。

人を管理の対象にしない。感情を問題行動で終わらせない。生活をサービス提供に変えない。そうした姿勢が30年以上の時間の中で、利用者、家族、地域、職員の間に“仲間”という関係を育ててきました。

効率化や標準化が進む時代に、よりあいは逆方向へ歩いています。けれど、だからこそ問い直されます。ケアとは何か。最先端の設備よりも、「ここで生きる」という言葉を信じて場を作ることのほうが、よほど革新的なのかもしれません。よりあいはその問いに、30年分の“今”の積み重ねで答え続けていました。

 

  • 運営会社 社会福祉法人 福岡ひかり福祉会
  • 施設名  宅老所よりあい
  • HP    http://yoriainomori.com/author/takurousyoyoriai/
  • 住所   〒810-0064 福岡県福岡市中央区地行1-15-14
  • 業種   通所介護/お泊りデイサービス

 

※こちらは個人的な見解を含め書いておりますので実際に感じることと異なる場合もございますがご了承くださいませ。

 

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