2025.12.27 | u-map

「幸せ」を意味するLYKKE(リュッケ)|“施設らしさ”を感じさせない、自分らしく最期まで暮らす住まい。

 

「ここは、いわゆる“施設”にしたくなかったんです。」

案内をしてくれたスタッフの言葉が、LYKKE(リュッケ)という場所の本質を端的に表していました。

ここは、高齢者施設という枠に収まる場所ではありません。
地域の中で“最期まで「自宅のように」暮らす場所”として存在する。
その意思は、建物の設計から日々のケア、地域との関係、そして最期の迎え方にまで一貫して貫かれています。

LYKKEは、デンマーク語で「幸せ」を意味します。
北欧テイストを意識した内装、やわらかな光の入り方、照明の配置、居心地の良さ。
見学の冒頭から感じたのは、こうした細部のこだわりが単なるデザインではなく、「ここで暮らす人の尊厳を守るための設計思想」として機能しているということでした。

 

 

大切にしたかったのは、自宅らしさ。

医療や介護を提供する場というより、幸せな人生のため、自分と家族が、自己決定をする住まいです。

我々は、日々自分で決断して生きています。どんな場所で働くか、誰と結婚するか、今日何を食べるか…

しかし、医療に関わることとなると、「先生の言うとおりに」「看護師のいうとおりに」と、主体的な決定ができなくなることがあります。その結果、「こんなはずじゃなかった…」と後悔をしたり、関係者にクレームを言いたくなるようなことがあるのではないかと思っています。

その当たり前を、ここで変えたいという原点がありました。

背景には、梶原さん自身の原体験があります。

祖母が神経難病を患い、自宅で数十年にわたって介護されてきたこと。

終末期、胃ろうを提案された祖母は、祖父と話し合い、胃ろうを選択せず、口から食べられるだけ食べて、最期を迎えました。

命を長引かせることだけを考えれば胃ろうをすべきだったと思いますが、本人・家族としっかり話し合い、祖母は自分らしい決断ができました。

その時、患者にとっての正解は、本人の中にしかないと強く感じました。ですが、医療の現場では、必ずしも本人の意思を確認される機会は多くありません。

その経験をきっかけに、患者の意思を重視することを目的として、堺市で難病の方を対象とした訪問看護を提供する会社を運営してきました。自宅では、本人が主役。自分の意思を最期まで貫徹出来る環境だったからです。

しかし、訪問の現場では、在宅での生活が難しくなり、やむを得ず施設に入所される方が年々増えていきました。

訪問の依頼を受け、多くの施設を訪れる中で、自宅のように自分で決められる場所が決して多くないことに、強い違和感を覚えるようになったといいます。

「難病やがん末期のように医療依存度が高い方でも、自宅のように暮らせる住まいをつくりたい」 その思いから、LYKKEのモデルは明確に「自宅」と定まりました。

 

お正月に居室で自宅のようにお鍋を囲む入居者さんとご家族

 

もう一つの核となったのが、「リスクの捉え方」です。

事故を防ぐことが最優先されがちな施設運営に対し、LYKKEでは問いを立て直します。

「そのリスクは、誰にとってのリスクなのか?」

利用者のためと言いながら、実は職員や運営側の都合で“一律禁止”が増えていないか。

それによって、入居者さんの自分らしい選択を阻害していないか?

その問いに向き合い続ける姿勢が、LYKKEの運営哲学となっています。

 

LYKKEの暮らしを語るとき、避けて通れないのが、「自分らしさとは何か」という問いです。

 代表の梶原さんは、この問いに何度も立ち返ってきたといいます。

「どのように暮らせば、自分らしいですか?」

そう聞かれて、すぐに答えられる人は多くありません。
自分らしさとは、最初から言葉になっているものではないからです。

だからLYKKEでは、いきなり答えを求めません。
これまでどんな人生を歩んできたのか。何を大切にしてきたのか。これからどんなふうに暮らしたいのか。

そうした対話の中で語られる人生談を「ライフストーリー」と呼び、自分らしさを探る人生会議の出発点として大切にしています。

梶原さんが考える自分らしさとは、「その人らしい意思決定ができている状態」そのものです。誰かに決められるのではなく、自分で選び、納得して生きていること。その積み重ねが「幸せ」につながると考えています。

ただし、暮らしには必ずリスクが伴います。

LYKKEでは入居時に、「人は必ず亡くなること」「自宅で起こることは、ここでも起こりうること」「生活の中にリスクゼロの安心・安全は存在しないこと」を率直に伝えています。

「LYKKEは自由でいいですね」と言われることもあります。

しかし、その自由は「なんでもあり」という意味ではありません。

LYKKEにおける自由とは、一律のルールを理由に、本人の意思決定を止めないことです。

歩けば転倒のリスクがある。
嚥下状態が悪い中で食事をすれば、誤嚥性肺炎の危険が高まる。
専門職はそれらを過不足なくアセスメントし、本人と家族に正直に伝えます。

そのうえで、「それでもどう生きたいか」を一緒に考える。
死んでもいいから食べたい。
死んでもいいから外出したい。
そうした言葉が出たとき、医師や専門職が対話を重ねながら意思決定を支えていきます。

 

ご家族とともに、入居者さんの最期の願いだった、「いちご狩りに行きたい」を実現

 

時間がかかり、手間のかかるやり方です。

それでもLYKKEがこの姿勢を貫くのは、そのプロセスこそが「その人らしい幸せ」に最も近づく道だと考えているからです。

 

こうした考え方は、日常の暮らしにも表れています。

食事は一律管理せず、アルコールも個別事情を踏まえて相談しながら調整します。

あるとき入居者同士の会話から、「最近飲みすぎちゃうよね」という声が上がり、水曜日を休肝日にしようというルールが自然に生まれました。

管理ではなく、自分たちで暮らしを整えていく設計です。

役割を持つことも大切にされています。

レジや会計、仕入れ、在庫管理を担う人。
場づくりを手伝う人。
誰かの役に立つ感覚が、自己肯定感につながっていきます。

最期の迎え方においても、LYKKEは「ライフストーリー」を軸に据えます。

ACP(いわゆる人生会議)を頻回に行い、どう生きてきたのか、何を大切にしてきたのか、今この瞬間に何を望むのかを聞き続ける。看取りの直前に「どうしてもイチゴを食べたい」という希望が出た事例では、誤嚥のリスクに職員がヒヤヒヤしながらも、家族と一緒に叶えています。さらに、その部屋で家族と鍋を囲む時間をつくる。

亡くなった後には「偲ぶ会」を開き、家族が語る場を設けています。ここには、医療や介護の正解ではなく、「その人の人生の結び方」を最優先する。

食事も、役割も、最期も、すべては一本の線でつながっていました。

 

病気や障がいがあることで、「支えられる側」になる時間が長くなると、自分の存在価値を見失ってしまう方も少なくありません。

LYKKEでは、ライフストーリーに基づき、何かしらの役割を持ってもらうことを大切にしています。

 

料理に挑戦する入居者さん

 

地域で人気のパン屋と連携し、入居者が自分で買いに来る。
朝食をここで食べる人もいれば、好きなパンを選ぶ人もいる。
イートインで地域の来訪者が過ごすこともあります。

かつてはカフェスペースとして設計していたものの、現在は満床に近く、週1回の駄菓子屋という形に変えています。

レジや会計、仕入れ、在庫チェックまで入居者が担い、職員はあくまでサポートに回る。

「できることを奪わない」設計が徹底されていました。

 

 

子連れOKという方針も、空気を柔らかくします。

LYKKEにとっては、地域の暮らしの延長です。

薪ストーブがあり、ピザを焼くこともあり、これらは“映える”ためではなく、暮らしの温度を取り戻すために置かれています。

さらに地域連携として、社協の「男志会(定年後男性の料理教室)」に場所を貸す取り組みも行われています。

入居者のためだけでなく、地域の課題や活動の受け皿になることで、LYKKE自体がコミュニティの一部になっていく。移動スーパーの導入もその一つで、時間になると入居者がぞろぞろと集まり、自分の好きなものを買う仕組みをつくっています。

「買い物」は単なる生活行為ではなく、その人の主体性を呼び戻すリハビリでもあります。

 

 

LYKKEは神経難病の方、特にパーキンソン病の方を中心に受け入れています。

末期がんやALSなど、一般的に「リスクが高い」と断られやすい方々も対象にしている分、セラピストや看護師の比重が高い体制です。

興味深いのは、設備や導線そのものがリハビリの“きっかけ”になっていること。
階段はあえて封鎖せず、「上りたくなる仕掛け」として残されています。

エレベーターもありますが、上り下りできる人は自分で行く。
日常の行動の中に、小さな挑戦を埋め込むことで、「できる」を守っています。

居室内にトイレを置かず、共用部に配置しているのも象徴的です。
居場所を確保し、介助しやすい動線を意識した設計。
「空間がケアを助ける」思想が、構造として表れていました。

さらに、パーキンソン病の方は方向転換が難しいことを踏まえ、後方アプローチできる形を意識しているなど、症状特性を踏まえた設計が細部にあります。

「空間がケアを助ける」設計思想が、言葉ではなく構造として伝わってきました。

 

LYKKEの取り組みは社会的意義が大きい一方で、運営の難しさも正直に語られています。

自由度が高い分、判断とすり合わせが増え、スピードも求められる。

命は待ってくれないからです。

組織面では、理念との折り合いがつかず離職が生まれた時期もありました。

ここは“優しい職場”というより、“考え続ける職場”。

その分、採用と育成の難易度は高まります。地域に開いた場づくりも、理想を掲げるだけでは続きません。

だからこそ誕生日企画は一人5,000円と決め、超過分は本人負担にするなど、持続可能なルールに落とし込んでいます。

理想を燃やし尽くさないための、現実的な経営判断が随所に見られました。

LYKKEでは、記録や情報共有に介護ソフトを活用し、ほぼペーパーレスで運営されています。

一見すると、一般的な業務効率化の取り組みに見えるかもしれません。

しかし現場で話を聞くと、LYKKEのDXの目的は、
時間を短縮すること自体ではないことが分かります。

自由度の高いケアを支えるためには、
誰が、どんな背景を踏まえ、どのような判断をしたのか。
そのプロセスがチーム内で共有されていることが欠かせません。
情報が属人化すれば、ケアの質は簡単に揺らいでしまいます。

そのためLYKKEでは、記録を「管理のため」ではなく、
判断の理由を共有し、次につなげるための土台として位置づけています。

記録や連絡に追われる時間が減ることで生まれるのが、
入居者と向き合うための余白です。
「今日はどうしたいですか?」
そんな問いかけが自然に生まれる時間こそ、LYKKEが大切にしているものです。

LYKKEのDXは、人の関わりを減らすためのものではありません。
むしろ、自由な暮らしを支える判断や学びを、
組織として蓄積していくためのインフラに近い存在でした。効率化の先にあるのは、削減ではなく余白。その余白が、「自分らしく生きる」を支える時間へと変わっていきます。

 

現在、LYKKEはほとんど営業活動を行っていません。

入居の多くは、医療機関からの紹介や、家族が自ら探して見学に訪れるケースです。

これは、「コンセプトで選ばれる状態」が地域に根づき始めている証だと感じます。

神経難病や看取りを含む領域は、丁寧に向き合うほど運営の難易度が上がります。
人手も、判断力も、経験値も必要になる。
それでもLYKKEが選ばれているのは、
「ここなら自分の人生を預けられる」と感じてもらえる瞬間が、確かにあるからでしょう。

そうした積み重ねの中で、
最近では「LYKKEのような場所をやりたい」という声も聞かれるようになっています。
それは建物や内装を真似たい、という話ではありません。

LYKKEの本質は、
リスクを問い直し、個別にすり合わせ、
自由を成立させるために学び続ける文化にあります。

一律の正解を持たず、判断を現場に委ね、その理由を共有する。
この姿勢こそが、LYKKEをLYKKEたらしめています。

今後、別の地域で同じ挑戦をするには、
理念の言語化、育成の仕組み、判断プロセスの共有、
そして地域資源との接続といった「運用の型」が欠かせません。

LYKKEは完成されたモデルではなく、今も試行錯誤の途中にあります。
カフェ機能を限定し、外出やイベントを持続可能な形へ調整してきたのも、
理想を続けるために、あえて形を変えてきた結果です。

施設を探す家族にとっては、選択肢というより希望になる場所。
働く人にとっては、消耗ではなく成長のある職場。
地域にとっては、高齢者を切り離さず、暮らしの中で支える拠点。

LYKKEが掲げる「幸せ」は、感情論ではなく思想と運用を積み重ねることで、日常の中に形づくられていました。

堺から始まったこの挑戦は、まだ完成ではなく進化の途中にあります。

 

  • 運営会社 株式会社LYKKE
  • 施設名  医療介護併設型シェアハウス LYKKEみいけ
  • HP    https://lykke-life.jp/
  • 住所   〒590-0134 大阪府堺市南区御池台3丁1-4
  • 業種   住宅型有料老人ホーム

 

※こちらは個人的な見解を含め書いておりますので実際に感じることと異なる場合もございますがご了承くださいませ。

 

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